もう今は秋になってしまったが、先日の夏休み、私達は1ヶ月間日本滞在をして、娘も実家近所の公立小学校で、短期体験をさせていただいた。
ドイツの学校は毎年夏休み開始日が少しずつ変わる。それは休暇中の渋滞緩和策のため、州によって夏休みの日程が少しずつずらされているのが理由だが(これはよくできたシステムだと思う)、今年、私達の住む州は日本の小学校より1週間早く夏休みになることが分かっていたので、学期が終了した翌日にすぐ日本に飛んで、翌週の4日間、実家そばの小学校1年生のクラスに受け入れていただいた。
日本に住む方達も皆口をそろえて「今年の暑さは異常だった」と話す2018年の夏、私も実に11年ぶりの真夏の日本、娘にとっては初めて体験する暑さだったけれど、4日間無事に楽しく通学することが出来た。
日本に着いて2日目の夜、明日から学校に通うという日の晩、娘は少しナーバスになっていた。毎年里帰りのたびに日本の幼稚園にも3年通って、この感覚には慣れているはずなのに、1年ぶり、そして今回は小学校ということで緊張しているようだった。
「だって、みんな日本語しか話さないんでしょう?大丈夫かな。」
「でもさ、あなたの好きな手遊び歌の『せっせっせーのよいよいよい』」だって日本の幼稚園で教わったんじゃない。」
「あぁ、そうだったね。」
「楽しいこともいっぱいあったでしょう?」
「うん。そうだ。跳び箱もやったね。フラフープも初めて日本の幼稚園でやった。それからウサギも飼ってたね。」
布団の中で話していたら、色々と思い出して来たようで、少し彼女の気持ちもほぐれて来たようだった。ドイツでの小学校生活も毎日忙しく、表面的には日本での体験を忘れがちだが、彼女の中にはしっかり根付いているんだなと改めて嬉しく感じた。
登校初日は早朝8時前からいきなり気温35度以上の暑さ、学校まで10分歩くだけで全身汗だく、この顔から汗が噴出す感覚は何年ぶりだろう、娘ともただ「あついね~」としか会話が出来ない感じで学校に着くと、事前にずっと連絡させていただいていた副校長先生が校門前で迎えて下さった。
1日目の授業は偶然1時間目から水泳授業。初日から突然のことなので、先生方からは自由参加で良いと言われていて、まだドイツの学校でも水泳授業を経験したことない娘は迷っていたため、参加不参加どちらでも良い準備をしていったが、先生とお会いして「どっちにする?」と改めて聞かれた時に、娘は少し考えて「じゃぁ、やってみる。」と答えた。その時の決意をした彼女の顔は少したくましく見えて、一つ成長を感じた瞬間だった。
結果的には、1年生でまだ泳げない子もいるからか、水遊び的な内容でとても楽しかったようで、水泳は今回1回だけと聞いて残念がるほどだった。学校設置の屋外プールも、夏が日本ほど暑くならないドイツにはないものなので良い経験になっただろうし、また気温35度の炎天下の中、不参加でプールサイドで2時間見学する方が酷なのではと親としては思っていたので、参加して本当に正解だったと思う。
初日は彼女なりにたくさん初体験をして、期待以上に饒舌に色々話してくれた。
うんていを何度もしていたら、手に出来た豆がつぶれ皮が剥けたので、お友達が保健室に連れて行ってくれ、優しい先生に絆創膏を貼ってもらったこと(ドイツの学校には保健室がないので新鮮)、ドイツでいつも使っている筆箱を見てみんなが驚いていたこと、そして「やっぱりドイツってすごいね」と誰かに言われたこと(何を根拠にすごいのか分からない所がさすが1年生でかわいい)、給食がとても美味しかったこと、算数では手を挙げて答えを言ったこと、挙手のやり方が、ドイツと日本で違うこと(ドイツは人差し指を立たせる、日本は5本指をそろえる)、などなど。。。
そして翌日には少し仲良くなった女の子から、こんな嬉しいお手紙をもらって来た。こんな風にすぐに友達になれる純真な子供達の友情ってすてきだなと思った。大人の世界ではあり得ないこと。この年頃に学校体験をする意義は十分にあると感じた。
2日目以降も、クラスの皆でどういう遊びをしたら娘が楽しめるか考えてくれたり、3日目にはスモールプレゼントを各自娘へ、そして娘もクラスへ用意することに決めて、最終日にはそれぞれ折り紙や手紙を交換し合い、温かい気持ちで体験を終えることが出来た。
娘は私が予想していたよりも、言葉を理解し学校生活を楽しめたようだった。一輪車に挑戦してみたこと、清掃時間に初めて床の雑巾がけをしたこと、今日の給食は少し辛かったこと、給食当番は白衣、帽子、マスクを身に付けて、みんなに食事を分けてくれる、楽しそうで自分もやりたかったこと、など毎日話してくれた。以前「日本語のひきだし」という投稿を書いた時があったが、ドイツにいる時はドイツ語の方が話すのが楽で私にもドイツ語で返してくることが多いため、表面的には日本語を忘れているように見えても、いざ日本語の世界に放り込まれて、話さないといけない環境に置かれれば、脳内の「日本語ひきだし」が瞬時に開いて、自然に言葉が出て来るようだった。
そして私達は色んなことが幸運だったと思う。実家から一番近いこの小学校は、横浜市なのに珍しく1学年1クラスしかない少人数制のアットホームな学校で(両隣の学区は全児童600人以上のマンモス校なので、本当に偶然)、先生方も生徒達も皆とても親切だった。また娘は春生まれで日本の学年では月齢が早い方で、ドイツの小学校で1年生を終了した状態で日本の小学校1年生1学期に入れてもらったので、算数の内容なども彼女にはずっと易しかったらしく、自信を持って参加できたようだった。
また東京都の場合は、娘と同じようなダブルの子供が一時帰国で学校体験を希望するケースがずっと多いらしく、通学自体を断られたり、問題回避のために水泳などの特別授業は参加不可という話も聞いたので、隣の神奈川県でも随分状況が変わるのだなと思った。今後も、娘の意欲が続き、学校も受け入れて下さるのなら、可能な限り毎年体験させてもらえたらと願っている。
日本に行く前は心配だった猛暑は、確かに暑くて大変なこともあった。でも同時に夏ならではの良いことを沢山忘れていた自分にも気が付いた。通学した小学校の校庭で開催された町内会の夏祭りに娘に浴衣を着せて出掛け、ヨーヨー釣りや金魚すくい(本物ではなかったけど)もとても楽しんで、次の日もどうしても行きたいと言い張るので連日出掛けた。花火も各地で沢山見られて、ドイツに戻って来てから書いた絵日記にはまず花火のことを書いていたし、陶芸教室で風鈴を作ったり、行く先々でカキ氷を食べたり、日本の夏でしかできないことを色々経験できた。