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子供と生活しながらの制作

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幼児と生活しながらの制作は、育児や家事の合間に見つけた細切れ、隙間の時間をかき集めて何とか進める制作で、子供を産む前と同じやり方をしていては終わらないのだ、とずっと試行錯誤している。
 
今月で3歳になった娘は夏から幼稚園に行くことが決まっているが、今は週3日の託児以外はずっと私と一緒にいる。彼女が託児に行っている数時間、昼寝をしている1時間、一人遊びに集中している一瞬、彼女が寝た後私の体力が続くまでの時間、家族がまだ寝ている早朝の静かな時間、そんな時間を必死に集めて、今月は展覧会へ向けて制作している。
なるべく効率良く作業できるように、出掛ける直前や家事をする前に絵の具を一色塗って、帰宅後や家事をした後に画面が乾いて印象が変わった画面を見て、不在にしていた時間が作品を創ってくれたような錯覚に陥ったりしている。
 
子供が家にいると、なかなかまとまった集中時間を保つことは難しい。今なら誰にも邪魔されないと深夜に集中して作業していた時、いつもはよく寝ているはずの時間に突然娘が泣き出し、普段は夫がなだめればまた寝るのに、ママでないと嫌だと泣き止まなくて仕方なく筆を置いた時など、正直とても腹立たしくなる。子供の直感で、母親が自分以外の何かに集中していると感じているのだろうか、こちらが追い込み状態になればなるほど、彼女もママ、ママと言うようになり、自分が知らぬ間に彼女に対して手を抜いている証拠なのだろうかと申し訳なく思ったりもする。
 
でも子供というのは本当に予測不可能なおかしな言動をするもので、一日に一度はどっと笑わせてもらうことがある。今日も大した仕事が出来なかったな…と思いながら娘を寝かしつけていた時、不意に彼女が「あかちゃんのとき、ママのおっぱいのんでたね。」と言うので、「そうね、どんな味だったか憶えてる?」と聞くと、「うん、あのね、いちごあじだった。」と言うので、思わず大笑いしてしまった。こちらの思い通りに行かずイライラさせられたことも一瞬でふっとび、その日一日のネガティブなことが全て帳消しされた気分になった。こんな些細なかわいく面白いことの繰り返しで、親は頑張れるのかなと思う。
朝仕事していて、娘が目を覚まして「ママ~!パパ~!」と私達を呼ぶ元気な声が聞こえて来た時、「あぁ、起きてしまった。これで静かな私の時間も終わりか…」と思うと同時に、また私達の一日が始まったと自然と微笑む自分もいる。
 
作品は形に残るものだが、同時にその背景にある無形のものも背負っている。自分の過去作品を見ると、描いた時のことも付随してすぐに思い出せる。描いた季節、場所、状況、動機、制作過程、当時の自分の精神状態など。
娘が1歳頃、何でも興味を持って手にし口にしていたため、私の絵の具を出していようものなら、ぐちゃぐちゃにされて大変だったので、いつも彼女の目に付かないよう隠していた。こんなこともいつまで続くのかと思っていたら、2歳半頃には「これはママのえのぐだから」と言って理解し、もう触らなくなった。考えてみると長い人生の中ではほんの一瞬、1年少しのことだった。細切れの時間をなんとか繋げて必死に描いている今の作品達を今後見るたびに、あれは特別な期間だったと懐かしく感じることが出来るようにきっとなるのだろう。今はまだそういう気持ちにはなれないけれど。
 
新作: „Eine Landschaft ある風景” 40x70cm, Pigment on Japanese paper 2014

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by mikimics | 2014-04-26 19:22 | work | Comments(1)
Commented at 2014-04-26 21:26
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