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カテゴリ:language( 8 )

ひらがなとアルファベット

子供が生まれて最初の5年は言語やコミュニケーション能力が成長する大事な時期とよく聞くけれど、娘が5歳になって感じるのは、想像していた以上に5歳児の語彙数は豊富で、会話力も高度だということ。
さらに私は娘が4歳までは特に感じなかったのだが、5歳になってからはドイツ語に関しては彼女にはもうかなわないと思うことが増えた。もちろん大人が使う難しい単語はまだまだ知らないけれど、発音や流暢なしゃべり方は完全なネイティブスピーカーに成長した。特に歌を聴いて覚えるスピードには全くかなわない。彼女は耳で聴いた音をすぐに同じように口からドイツ語の言葉で歌うという、私には容易にできない芸当をいとも簡単にやってのける。

でもそんな娘は「話すのはドイツ語の方がずっと得意だけど、書くのや読むのは日本語の方が得意なの。」と最近自分で言い出した。そんなこと私達は彼女に言ったことはなかったし、そういう自覚があるのだということに驚いた。確かに日中は私と二人でいることが多いし、ドイツ語はどうせ今後ずっと学校で勉強する言葉だから、今は家でドイツ語よりも日本語の読み書きを多く教えているかもしれない。6歳になって現地小学校に入学したら、きっと独日語の読み書きのレベルも逆転するだろうから、これは5歳の今だけの現象なのだろうなと思う。


でもそれに加えて、この現象はもしかしたら日本語とドイツ語の言葉の特徴 -ひらがなとアルファベットの違い- も影響しているかも知れないとも感じる。
ある日、日本から届いた小包の段ボール箱(「りんご」と印刷してあったもの)を娘が見て、「り、ん、ご、、、あ、これ『りんご』って書いてあるよ!」と嬉しそうに言った。「り、ん、ご」というひらがなの並びで、果物の「りんご」という意味になる、ということを実感できた瞬間で、読み方のシンプルなひらがなの長所を感じた。
でもこれはドイツ語になるとそう簡単にはいかない。りんごはドイツ語で「Apfel(アプフェル)」、A、P、Fなどのアルファベットが全部読めても、綴りを覚えない限り、5歳の子供が自発的に読むのはなかなか難しい。

日本語はひらがな、カタカナ、漢字と3種類の文字があって、世界的にも難しい言葉だと思う。でも最初に、一文字で一発音と決まっているひらがなを全部覚えてしまえば、ひらがなだけの文章なら5歳の子供でもひとりで読めるようになる。比べてみてドイツ語や英語など、約30種類のアルファベットで成り立つ言語は、文字の種類ははるかに少ないが、その組み合わせが無限で発音も複雑、単語の綴りを知らなければすぐに理解できない。それは学校で習わなければ習得しづらいので、未就学児が文章を読むのは難しいと思う。
この理由からか、日本人の子供は一人で絵本を読むようになるのが比較的早いと聞いたこともある。
お手紙を書くのが好きな娘も、発音した音をそのまま書けばいいひらがなは書き易いらしく、もちろん間違いも多いがよくひとりで書いている。「げんき?こんどあそぼう !」なら書けるけれど、「Wie geht's? Spielen wir bald mal!」はとてもひとりでは書けない。


ドイツ人に時々「日本語」について質問されることがあるが、大抵皆「漢字」を沢山習うことは知っていて、日本人が義務教育で習う漢字は合計約2,000語、というといつも驚かれる。敬語や男性語と女性語の違いなど、他の言語にはない特徴もあって、日本語ほど難しい言葉はないのではという話はよく聞くし、私もそう思っていた。でもドイツ語も特に文法がとても難しい言葉で、9年住んでも(きっと一生)、まだまだこんなものかと落胆することも多い。
ひらがなとアルファベット、子供が最初に出会う文字でも成り立ちが全く違う。一言で難しいといってもそれぞれの言語の難しさは多様で、難易度を計ることも比べることも出来ない気がする。私も子供を産まなければ、ひらがなの易しさ、利点なんて改めて考えることもなかった。今後娘が入学したら、どのような過程を踏んでドイツ語の読み書きを習得していくのか、それを観察するのも楽しみである。

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by mikimics | 2016-12-06 17:55 | language | Comments(0)

日本語のひきだし

日本に来てから1週間になる。到着後3日目から娘の幼稚園通園も始まり、初日は母子共に緊張したけれど、先生方や園児のみんなも優しく対応してくれて、娘も日々少しずつ慣れて来て嬉しく思っている。
(幼稚園ついてはまた後日改めて書く予定)

ドイツの生活で日常的に娘の口から出ていた独日ミックス文章も、日本到着以降この1週間で徐々に少なくなり、いかに言葉は環境に影響されるものかと思う。今回は夫は同行しないので彼女は日本語漬けの毎日だが、特にそのことが苦になっている様子もない。一人遊び中や歌を口ずさむ時など、素の状態になっている時は、よく独りでドイツ語を話しているけれど、私の家族、友達との会話や幼稚園では日本語だけで彼女なりによくやっていると思う。
彼女の脳内にはドイツ語と日本語の両方のひきだしが並行してあって、それは常に開け閉め自由な状態なのだろう。特にドイツでは開く回数が少なめだった彼女の日本語のひきだしは今は毎日全開で、日々その中身をどんどん増やしている。その吸収力は眩しいほどで、若い細胞って本当に素晴らしいなぁと感動する。


この「日本語のひきだし」ということについて、今回ドイツを発つ前に少し考えさせられる出来事があった。

娘が通うドイツの幼稚園には、他にもう一人独日ダブルの園児がいた。彼は6歳のN君という卒園間近の男の子。日本人のお母さんは彼に日本語で話しかけるけれど、彼の返事はほとんどドイツ語。何を言われているかは理解しているけれど、自分から日本語で話そうとはあまりせず、完璧に頭がドイツ語脳になっている印象だった。私とも「おはよう!げんき?」といった簡単な挨拶はしていたけれど、日本語でおしゃべりをするということはほとんどなかった。
ある日園長先生の退職記念パーティーがあり、園児、保護者、関係者などを含め、100人以上の人が幼稚園の園庭に来ていた。パーティーなので大人も子供も食事をしながら、思い思いの所へ動いていた。するとお母さんを見失ったらしいN君が私の所に来てこう聞いた。

「ぼくのおかあさんがいないの。ぼくのおかあさん、どこ?」

私は彼がこんなにきれいな長い日本語を話すのを初めて聞いたので、逆にそのことに感心してしまった。
そして、こう思った。
その場には彼の仲良しのお友達のお母さん達もいて、日本語よりも得意なドイツ語で質問することもできたのに、彼はわざわざ私の所にやって来た。子供というのは、不安な状況にいる時には自分の母親に近い人の所へ本能的に行くものなのだなと。また彼の中には、きちんと日本語のひきだしがあり、それは普段の生活で必要がない時は閉じているけれど、いざという時にはいつでもすぐに開き、そしてすぐに使える準備が出来ているということを。


この出来事は私を少し勇気付けてくれた。子供の能力を表面だけで判断してはいけない。一見そうとは見えなくても、その子の深層には、しっかりと親から受け継がれたものが宿っているものなのだと。N君の咄嗟の行動が私にそのことを示してくれた。
そして今回日本に来てみて、娘の中にもそれなりに中身のある「日本語のひきだし」が存在することを再確認できた。彼女と過ごしたこれまでの4年と少しの間で、親子で一緒に作ったひきだし。それを信じて今後も頑張ろうと思えるだけでも、このタイミングで日本に帰って来た甲斐はあったと今思う。
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by mikimics | 2015-07-07 00:33 | language | Comments(0)

言葉で伝えられないもどかしさ

娘は4歳になり言葉もさらに発達してきたが、あきらかに日本語よりもドイツ語の方が流暢になり、その差が開いたことで私達は難しい局面を迎えていることを日々感じている。3歳の頃は両方の言葉の語彙がもっと少なかったこともあってか、ドイツ語と日本語を混ぜて話すことはあまりなかったのだが、最近はそういうことも増えてきた。もちろんそうしたくてやっている訳ではなく、先にドイツ語の単語が口から出てしまって、簡単な日本語をつなぎに付け加えている感じで、その独日ミックス文章を聞くたびに、私が日本語オンリーの文章に訂正して復唱している。日本語担当の母としては、これを気長に続けるしかないと思っている。

さらにごくたまに、母親なのに情けないが娘の言いたいことが本当に理解できないことも出て来た。私は30歳を過ぎてからドイツ語を始めているので、大人の会話では出てこない子供がよく使うドイツ語の単語を意外と知らなかったりする。娘が幼稚園に通園したこの1年で彼女やその友達から学んだ言葉も結構ある。そういう言葉の場合が原因だったり、幼児の話すドイツ語なので、本当に聞き取れないこともたまにあり、そんな時に日本語に訳すこともできない娘は、悲しそうに口をつぐんでしまう瞬間が少し増えてきた気がして、どうにかしなければと思っている。

彼女はストレスがたまると、キー!となって発散するタイプというよりは、自分の中に押し殺して静かに黙ってしまうタイプのようで、日本語で言いたい、でも分からない、そしてドイツ語で言っても通じない時、だんだん悲しくなって「なんでもない」と言ってうつむいてしまう。これは言葉の問題というよりは、母子のコミュニケーションの問題になると思うので、「いいのよ、日本語でなんていうか分からないならドイツ語ではっきり言ってみて。ママはあなたが何を言いたいのかを知りたいから。」と彼女の手を握って何度か試してみるが、「もう、いいの。」と下を向いて言われてしまったりすると、こちらも泣きたくなってくる。言葉が足りなくて、相手に意思を伝えられないもどかしさ、自分がだめな人間に思えて気力を失う辛い気持ちは痛いほど理解できる…


ただ時々、娘はまず頭でドイツ語で考えたことを、彼女なりに日本語に訳して言ってるんだなと、感心することもある。
先日「ママはnachしてね。」と言うので、最初何のことか全然分からず、「なーするってなあに?なーって言うの?」など色々質問した挙句、nachmachen(ナハマッヘン=真似する)して欲しい、「私の真似をしてね。」と言っていたのだと分かった。このnachmachenというのはドイツ語の分離動詞で、文章にする時はnachとmachenで分かれる。「真似して!」というのは「Mach mich nach!」という具合。そしてmachenはとにかく日常会話でよく出てくる英語のdoのような動詞で「する」という意味。この時なるほどと思ったのは、娘は「machen=する」と直訳しており、「nachmachenしてね。」ではなく「nachしてね。」と言っていたのだ。
また英語のhelpと同じく、ドイツ語のhelfenも、「助ける」「手伝う」という意味で使うのだが、時々キッチンに「たすけるよー。」と言いながら娘が入って来るので、ドイツ語から訳して言ってるんだなと感じる。今はまだかわいい感じがするから良いけれど。


日本語世界での経験値がドイツ語世界よりずっと少ない娘にとっては、これは当然の成長過程で、現時点では仕方がないことだと思う。
彼女の日本語社会の場数を増やすために、今月末より日本に飛んで、夏休み前まで実家そばの幼稚園で短期体験させてみることにした。初めてのことなので不安も迷いも大いにあり、どういう経験になるか未知数だが、私達にとって良い転機になれたらと期待している。それについてもまたここで後日書きたいと思う。

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by mikimics | 2015-06-24 18:00 | language | Comments(0)

ドイツ語性格 日本語性格 (Let it go の歌詞の違い)

4月で4歳になる娘はドイツ語日本語共に随分よく話すようになり、4歳になる子供とこんなに会話って成立するものなんだなと、時々感心している。
以前のブログに、ドイツ語を話している時と日本語を話している時とで、娘のしぐさが違うということを書いた。今はそれに輪をかけて、それぞれの言葉を話していて彼女の性格が少し違って見える時がある。私から見ると、娘はドイツ語を話している時の方がなんとなく自立していてよく議論口調で話す印象で、それに対して日本語の時は同じことを言っていても、少し幼くおっとりしているように見える。

例えば我が家は夫と私と一日交替で娘の寝かし付けをしているが、私担当の日は日本語の絵本を読んで電気を消した後は、大抵おとなしくしていてそのまま寝入る感じなのに、夫の日はドイツ語の絵本を読んだ後に暗くしても、絵本の内容についてどうしてそうなったのかとか色々とよくパパと話し込んでいる。

これは彼女の両言語会話力の多少の違いもあるだろうし、またそれぞれの言葉自体が持つ特徴が理由でもあるだろう。また娘の立場からすれば当然のことだとも思う。ドイツで生まれ育ち普通の現地幼稚園に行っている彼女にとってドイツ語は外の世界で他者とコミュニケーションする言葉であり、自分の意見を自由に表現すると共に、時に他人と闘う必要がある場合に使う言葉である。それに対して日本語は主に私や私の家族、友人やその子供達と話す時の言葉であって、母親と一緒の時は安心しきっている訳だから、議論モードになる必要はないのかも知れない。


言葉の特徴の違いで最近気になったこと。
先月日本滞在した時、一時期のブームは去ったとはいえ、ディズニー映画「Frozen」の根強い人気を感じた。ドイツは日本ほどは流行っておらず、娘もよく知らなかったのだが、滞在中当然影響されて主題歌も歌うようになった。そして日本語の歌と同時にドイツ語の歌も聞きたがるので、私も一緒に聴いてみたところ、それぞれの言葉の歌詞の違いが気になった。以下、サビの部分の日本語とドイツ語の歌詞。

(日本語)
ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
何も恐くない
風よ吹け
少しも寒くないわ

(ドイツ語)
Ich lass los, lass jetzt los
Die Kraft sie ist grenzenlos
Ich lass los, lass jetzt los
Und ich schlag die Türen zu
Es ist Zeit, nun bin ich bereit
Und ein Sturm zieht auf
Die Kälte sie ist nun ein Teil von mir
(以下、訳)
もういいの、これでいいわ
この力は無限なの
もういいの、これでいいわ
そして強くドアを閉めるの
この時が来た、準備はできてるわ
そして嵐が来るの
寒さは私の一部なのよ

両言語共に英語からの訳なので、かなり意訳になっていて、もともとの意味から少し離れてしまっている所はあるけれど、日本語は易しくやわらかい言い回しになっているのに対して、ドイツ語の方がより論理的で内容が強い印象を受ける。これはドイツ人と日本人の表現方法の差異でもあると思うが、子供向けの歌からしてもう違うんだな…と考えてしまった。


最近ある雑誌で滝川クリステルさんのインタビューを読んだが、話せる言葉の順位は日本語、フランス語、英語だけれど、日本語よりフランス語を話している時の方が、自分をより解放できる気がすると言っていた。同じ人間でも言語によって性格が変わる ― 言語が人に与える影響は計り知れないと改めて思った。


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by mikimics | 2015-02-10 16:01 | language | Comments(0)

言語とそれに伴うしぐさの関係

またまた娘の言語習得ネタをひとつ。娘は2歳半頃から語彙がぐんと増えたと同時に、話しながらするしぐさも身に付けていった。例えば、分からないことや不思議に思うことがあった時、肩をすぼめたり、両手を外に向けたりするようになり、そのしぐさが私には外人ぽく見えて面白いなぁと思っていた。そしてよくよく観察していると、その動作はドイツ語を話している時によくしていて、日本語を話している時にはあまりしないことに気が付いた。そういった体の動きも言葉と結び付けて習得していくものなのかととても興味深く感じた。結局子供は言葉も行動もすべて大人を真似て覚えていくものなので、ドイツ人がよくするしぐさ、日本人特有のしぐさなども、状況に応じて自然に身に付けていくのだろう。そしてそれは彼女の場合、2つの言葉を使い分けるのと同時に違いが表れるというのが、私にはとても面白く感じる。

言葉と同時のしぐさとは少し違うが、日本人の子供達は2歳でも写真を撮る時ピースをする。うちの娘には特に教えていなかったのだが、日本人のお友達と一緒に写真を撮った時に、周りの子達がみんなしていることで彼女もいつの間にか習得してするようになっていた。そのうちもう少し大きくなったら、ドイツ人のお友達とはしないけど、日本人のお友達とはするんだ、なんて言ったりするようになるのだろうか。また大笑いした時、いつもではないが手で口を押さえることがあり、これは日本人がよくするしぐさで私も無意識に時々しているらしく、義妹は私とよく似てると言う。

指で数を数える時、ドイツ人はまずグーの手にして、1,2,3… 親指、人差し指、中指…という順番で、外に指を開いていく。日本人はその逆でパーの手にして親指から中に折っていく。他にも1は人差し指を立て、2はピースの形、3はそれに中指を足して、という形で数を示すこともある。これらの数え方を娘は私達から自然に全部学んでいて、すべてのやり方で相手構わずランダムにする。彼女が小さい手で器用に親指と小指を折って、日本式「3」のサインを見せた時、ドイツの義理の家族は「そんなこと、よくできるわね。」と驚いていた。こういったことから、動物の鳴き声(例、犬の鳴き声 独:ヴァウヴァウまたはヴフヴフ 日:ワンワン)、救急車のサイレン音の表現(独:タトゥータタータトゥータター 日:ピーポーピーポー)などさえ、2つの言語はすべて違うので、言葉以外にも娘は2種類覚える訳で、少し可哀想になる時があるが、初めからそういう世界で生まれ育っているので、彼女には普通のことなのかもしれない。そしてそういう教育を始めた私達両親もいい加減にしてはいけない。
思えば娘が1歳後半にものの名前に興味を持ち始めた頃、そばに私達両親がいる場合は、必ず両方共に何という名前かを聞いてきた。まず私達どちらかに聞き、次に別の方にも聞いて、初めの答えと全然違う答えが返ってくるのを待っていた。そしてきちんと答えないと機嫌を悪くした。そんな我が子の姿を見ていて、この子は世の中のすべてのものには異なる2つの名前が存在していると初めから思っているのだ、と感心すると共に、そういう人間を作っている私達の責任を重く感じた。

「言語とそれに伴うしぐさの関係」小さな発見だけれど、こうしてまだ2,3歳の子供でも、ドイツ人らしく、日本人らしくなっていくのだなと興味深く思った。

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by mikimics | 2014-05-20 19:45 | language | Comments(0)

娘と母国語で会話するということ

我が家は常にドイツ語と日本語の2つの言葉が飛び交っている。娘は父とはドイツ語で、母とは日本語で話すというルールを自然に身に付けている。
私は結婚前日本に住んでいた時は、両親の国籍が違うダブルの人達は普通に2ヶ国語が話せてうらやましいな、などと漠然と思っていた。でも結婚しドイツに住むようになり、大勢のダブルの方達と知り合い、私の考えは変わった。父親と母親の母国語が違うからといって、その子供は両方の言葉を覚えなくてはいけないということはないし、その生い立ちだけで常に自動的に2つの言葉が身に付く訳ではない。またそれぞれの家庭には異なる事情があって、バイリンガル教育をすることが難しい環境の家もあるのだと。そして我が家に娘が生まれた時、私達の場合は2ヶ国語で家族の会話をすることが出来そうだと思ったので、そうしてみることを選択した。
 
それ以来私は娘に日本語教育をしていて、これは子供のためというよりは結局自分のためにやっているのではないか、そう感じる瞬間が時々あることに気が付いた。例えば私が考え事をしている時などに「どうしたの?」、痛い思いをした時に「だいじょうぶ?」などと2歳の娘に日本語で尋ねられたりすると、なんだかとてもほっとする。また美味しいものを一緒に食べた時に「おいしいね。」と言葉を掛け合えると、より幸せな気分になれる。そして私は日本語以外の言葉で100%怒ることはできない。やはり母国語は一番自分の感情を表現できる言葉で、そしてダイレクトに私の中に入ってくる。
 
私はドイツに来る前、夫の友人である独日ダブルの男性と、そのお母様(日本人)と話す機会があった。彼は両方の国で育った理想的な完璧なバイリンガルだった。そのことについてお母様は私に言った。
「私はドイツ人と結婚してドイツ語でも生活するようになったけれど、自分がいよいよ最期の時には、やっぱり自分の遺書くらいは日本語で書きたいと思うだろうと考えたの。それでその遺書を自分の子供達には絶対に理解して欲しいから、その想いで必死で彼らに日本語教育をしたのよ。」
当時私は夫とまだ婚約もしておらず、そんなものなのかなと実感が湧かなかったが、そのお話はとても印象的だった。
 
そして現在、自分が同じ立場に立つようになった。まだ「遺書」のことなど今の私には全然想像がつかないのだが、今後の自分のためにも、娘とは日本語で会話を続けたいと思う気持ちは一緒である。何十年も外国に暮らし、その土地の言葉をネイティブのように操っていた人でも、老後パタッと母国語以外の言葉が出なくなるようになる、という話を聞いたこともある。
娘はドイツで生まれ育ち、社会に少しずつ入り込んで来ているため、最近はドイツ語の方がやや強くなり、私にもたまにドイツ語で話しかけて来たり、言葉を使い分けるのを面倒くさそうにする時も出て来た。でも親としては出来る限り2つの言葉を平行して教える努力を続けたいと思う。将来の自分のためにも。

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by mikimics | 2014-02-05 18:02 | language | Comments(0)

オノマトペ (擬音語・擬声語・擬態語)

娘も2歳半になり、随分言葉が発達して来た。生まれた時から彼女には夫はドイツ語、私は日本語のみで話しかける、いわゆるバイリンガル教育をしている。彼女は乳児の時から自然に両語共理解し、1歳半前から少しずつ言葉を話すようになり、最初はどちらか発音しやすい言葉のみを自動的に選んでいた。(例えば「赤ちゃん」より「Baby」と言い、「Baum」とは言わず「木」と言っていた。)そして2歳までは母親の影響で日本語の方がどちらかというと強かったが、やはり住んでいるのはドイツなので、今では独り言もドイツ語で言うようになって来た。そして2歳4ヶ月の頃から、同じ意味の両方の単語を自然に発するようになり、それまでミックスしていた二種類の言葉を、場所や相手によって使い分けるようになった。

そういう言葉を習得する過程を見るのは本当に面白い。特に最近私が気になるのは、日本語のオノマトペ(擬音語・擬声語・擬態語)を彼女が結構上手に使うことである。私のドイツ人の夫は合計で5年日本に住んだこともあり、かなり流暢なきれいな日本語を話す。ただ擬音語の語彙は極端に少なく、彼が自発的に使う言葉は「ふわふわ」と「つるつる」くらいで、他の単語は聞くと意味は何となく分かるが、自分から自然に言うことはできないらしい。これは大人になってから習得した日本語だからなのだろう。オノマトペのように感覚と結び付いた言葉は、後から学習して覚えようとしてもなかなか身に付かない。時々彼に擬音語の単語について、どんな意味か質問されるが、感覚的な母国語なので私も説明するのが結構難しい。

それに比べて夫より日本語歴がずっと短いはずの2歳半の娘は、ふわふわ、つるつる、はもちろん、きらきら、じゃーじゃー、ぴかぴか、あつあつ、びちゃびちゃ、あむあむ、ころころ、くるくる、など、結構正しく自然に使っている。私は特に意識して教えたつもりはないけれど、ちゃんと感覚は伝わっているらしい。まだ字が読めず、言葉は全て耳から聞いて覚えているので、同じ発音が2回反復することが多い擬音語は、リズミカルで音楽のように自然に頭に入ってくるのだろうか。動詞の単語を覚えるより易しいらしく、「光る」より「ぴかぴかしてる」、「みがく」より「ごしごしする」と言っている。

オノマトペについて少しネットで調べたら、面白いサイトを見つけた。
「擬音語・擬態語-日本語を楽しもう!」国立国語研究所
そちらによると、日本語は世界で2番目にオノマトペが多い言語らしく、最も多いのは韓国語なのだそう。ただ食感(あっさり、さくさく、ねばねば、じゅわ~など)を表現する言葉の数の多さに関しては世界一と認定されているらしい。それだけ日本人は食感に敏感なのだろうか。ドイツに住み外国語で生活をしていて、その土地の文化は言葉の数に反映するとよく思う。例えば日本語は「魚」の種類の語彙が多いけれど、ドイツ語は「肉」の単語が日本語よりずっと多い。

娘が2歳前の頃、何か言いたいけれど言えなくてもどかしそうにしていたことがよくあった。そんな時私はドイツ語が未熟で話せずやるせなかった頃の自分をよく思い出した。最近彼女が言葉を習得する様子から、日本語ドイツ語の特徴を感じている。自分の子供を通して「言葉」について改めて色々と考えさせられ、学ばせてもらっている。
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by mikimics | 2013-10-19 17:07 | language | Comments(2)

Das Bauchgefühl

ドイツ人と結婚し彼との子供を産み育てている私の日常では、当然「言語」も大きな関心事のひとつとなっている。このブログにも „language”というカテゴリーを立てて、気になったことを時々残しておきたい。

ドイツ語で"„Bauchgefühl(バオホゲフュール)"という言葉がある。Bauchは「お腹」、Gefühlは色んな意味があるが簡単に言うと「気持ち」で、直訳すると「お腹の気持ち」。日本語の「直感」に近い言葉。頭で論理立てて考えたことではく、説明できないが自分の内側がそうだと感じる気持ち、というような意味。

この言葉に、私はある思い出がある。
ドイツでは出産後、自宅に助産師が定期的に来てくれて新生児の世話指導をしてくれるシステムがある。我が家もドイツ人の経験豊富な助産師に、娘の生後8週間まで来てもらった。彼女は娘が順調に育っているか毎回体重を計り、オムツの替え方からお風呂の入れ方まで一から教えてくれ、良いアドバイスをたくさん私にくれた。その中でも特に印象的だった言葉がある。

「母親は自分の子供の異変には絶対に気が付く。子供が何かおかしいなと思ったら、すぐに医者に行きなさい。そしてその医者が大丈夫だと言っても、夫に考え過ぎだと言われても、自分がまだ納得できないようなら、別の医者に行きなさい。最後まで自分のBauchgefühlを信じなさい。」
この言葉はとても私の胸に響いた。そして新米ママの私に、あなたは母親として自信を持って良いのよ、と背中を押してもらえたようで嬉しかった。

考えてみると私のこれまでの人生で何度か決断に迫られた時があったが、すべて最後はこの「お腹の気持ち」で決めてきた気がする。人によって様々なBauchgefühlがあるけれど、最終的にはそれぞれにうまくまとまるというニュアンスが含まれているような気がして、私の好きなドイツ語の言葉のひとつである。
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by mikimics | 2013-02-19 10:12 | language | Comments(0)